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早 川 浩 士
(有)ハヤカワプランニング 代表取締役
2007年1月号
転期に立つ経営者の資質の鍛え方 K
徳慧術知(とくけいじゅっち)

「風林火山」に学ぶ 
2007年のNHK大河ドラマ「風林火山」は、井上靖生誕100年を記念した歴史小説が原作である。  戦国武将の一人、武田信玄の旗指物に記された四文字の出自は、中国古典の兵法書『孫子』から引用したもの。  兵は詐(さ)をもって立ち、利をもって動き、分合(ぶんごう)をもって変をなす者なり。其の疾(はや)きことは風のごとく、其の徐(しず)かなることは林のごとく、侵掠(しんりゃく)することは火のごとく、動かざることは山のごとく、知りがたきことは陰のごとく、動くことは雷の震うがごとく、郷を掠(かす)むるには衆を分ち、地を廓(ひろ)むるには利を分ち、権をかけて動く、先ず迂直の計を知る者は勝つ、此れ軍争の法なり。  端的に言えば、「戦いに勝つには相手の行動を読み解き、自分に有利な条件になるよう臨機応変に物事を良く見計らった上で行動しなさい」ということ。  主人公山本勘助は、武田信玄の軍師として得意の軍略を献策し武田軍を勝利に導いた名参謀である。  生年生地には諸説が伝えられ、諸国流浪の中で剣術や軍学を学んで今川家への仕官を望んでいたという。  信玄の家臣に推挙されたのは50歳を過ぎてからのこと。外見は片目と足が不自由で風采も悪かったと伝えられているが、人生50年時代の年齢を考えればさもありなん。  とはいえ、「甲陽軍鑑(武田軍戦略・戦術を記した軍学書)」には、彼の武功の数々が記されてある。  謎の多い主人公を敢えて現代風に置き換えると、定年を迎える年になって晴れて希望する職場に迎えられ、生涯で最も華々しい充実時間を勝ち取った人生ドラマといったところか。

「ヤル気、根気は、何クソという肥やしでできている」
孟子は、立派な人格とすばらしい才能を持った人間は、困難な状況の中で育てられてゆくという意味の「徳慧術知ある者は常に疢疾(ちんしつ)に存す」という言葉を残している。  徳慧は立派な人格、術知は素晴らしい才能、疢疾は艱難(=困難)のこと。  人格と才能が共に優れた人は、困難に出会って苦しみ悩み抜くもの。これを「修羅場の経験」として人生に活かせるか。一皮むけて悟りが開ける蝉蛻(注)を作り出せるか。艱難辛苦が人間形成の上には欠かせないというところか。  ところで、山本勘助は、いつ、どこで軍略を学んだのであろう。  勝手な推測だが、フランシスコ・ザビエルが「坂東の大学」とインドのイエズス会に宛てた書簡に記した足利学校ではないかと考える。  この学校は、平安初期から鎌倉初期に創設されたと伝えられる中世を代表するわが国の高等教育機関であり、縁故を頼った学生が常時数千人の規模で近郷近在に寄食生活を送りながら勉学に勤しんだという。  勘助が活躍した戦国乱世は、出陣や撤退など用兵上の吉凶を占う卜筮(ぼくせい)(占いの技術)、軍法や兵法などを学ぶ軍師の養成が盛んだった。  信玄は、卜筮の権威者を前にし「占いは足利にて伝授か!」と感嘆する行が「甲陽軍鑑」に記されるほど足利学校出身者への対応は違っていた。  勘助は、自らの徳慧術知を磨く半世紀の時を疢疾に当てていたのだろう。  介護保険法の改正により苦境のド真中に喘ぐ介護事業者の方々には、新年を迎える門出の言葉を贈りたい。  自分に訪れた試練を乗り越えるためにも「ヤル気、根気は、何クソという肥やしでできている」と、心の中で叫んでみるといい。  折角の貴重な経験を生かすも腐らせるも全ては自分の気持ち次第である。

(注)「本誌2006年9月号本欄参照」
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