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介護マネジメント塾 ..................... 経営のツボ38
早 川 浩 士
(有)ハヤカワプランニング 代表取締役
2006年8月号
転期に立つ経営者の資質の鍛え方 F
中心転換
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意・必・固・我(い・ひつ・こ・が)
人は元来感情の動物であり、喜・怒・哀・楽・愛・憎・欲の7つの情がある。
とはいえ、これらの感情の発動が理に叶うように上手く表現ができないのが人の常である。
自分の職位(管理者、スタッフなど)に照らして相手の肩書きや資格などから身構える人。利用者(スタッフ)への接し方が思うように運ばない人。
対人関係は、感情がほつれた糸と同じように絡み合うほど難しくなる。
孔子と弟子たちの問答を集約した『論語』には、人が豊かな人間社会が築き上げて行くために欠かせない知恵(道理や原理原則など)を沸き立たせる言葉が実に多い。
子、四(よつ)を絶つ。意母(な)く、必母く、固母く、我母し(子罕(しかん)9)」もその一つ。
「意」とは、思い込みのことを指す。自分勝手な心。あらかじめ予断をもって物事に当ることや、早合点など。
「必」とは、無理押しのことを指す。少々無理な要求でも通そうとしたり、押し付けがましい発言など。
「固」とは、固執することを指す。自説に執着して主張するのみで、他の説には耳を貸さない頑迷さなど。
「我」とは、わがままのことを指す。片意地を張る。自分だけの尺度だけで物事を測るなど。
家庭で解決できることが、職場では中々上手く行かないことがある(その逆も少なくないが・・・)。
無理・難題を押し通そうとする自分(管理者・スタッフ)がいたなら、「意・必・固・我」の点検を怠らないことだ。
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「気づき」の本質を科学する
介護現場から画期的な取り組み方法が報告される度に耳にするのが「気づき」という言葉である。
「気づき」の力が鈍い人は、「全体を俯瞰する目が養われておらず、見るべき部分と全体の関係や構造が理解できていないため問題や課題の本質が見え(築け)ていない」というのが、一般的な模範的解答例である。
私見だが、「気づき」の本質は、資質や素養などといった特別な才能など不要であるといって憚らない。
「気づき」は、「考える力」と「行動する力」の両軸が大きく関わる。
多くの場合、「あの人はいやだ」と感じたら、その人の話など聞きたくない。
数学の教師が嫌いだったので、数学まで嫌いになったのとよく似ている。
私たちの考え方は、論理的な思考とかけ離れたところで感情的に「考える力」が働いている場合が少なくない。
早い話、管理者からの指示、命令を好き嫌いで受け止めているといって過言ではない。
「目の前にある自分の仕事を遂行するにはどうあるべきか!」と「気づき」の態度を脅迫まがいに強要する管理者がいたなら、その組織の悩みは深い。
日頃、口にする「考える力」とは、思考というよりも感情に近いものが強く支配していると理解すべきである。
「動かないから見えてこない。だから気づかない!」との意見もある。
「行動する力」が大事なことは言うまでもないが、嫌いな管理者の前では、スタッフの「気づき」を誘引する条件が十分に整っていないことに管理者自らが気づく(注視)べきである。
この際、自ら徹底して嫌われる条件の整理を「意・必・固・我」の観点から洗い出してみるとよい。
「気づき」は、心理学の専門用語で「中心転換」という。
個々のスタッフに「気づき(=やる気)」の涵養を促すためにも、管理者は進んで自らの「中心転換」を図ることで、「考える力」の本質を科学することも継栄のツボと心得たい。
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