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早 川 浩 士
(有)ハヤカワプランニング 代表取締役
2005年2月号
古に学ぶ経営者の資質の磨き方 D
自らをマーケティングする

リーダーは、「修己治人」を自らに課す
一昔前、小学校の校庭には、薪を背負い本を読んでいる「負薪少年」の像が建っていた。成人して二宮尊徳(1787〜1856)と呼ばれた人物、幼名を金次郎と名乗った頃の姿である。  彼は、五歳のときに大洪水に会い、地主だった生家は一挙に奈落の底に転落。貧しい生活を支えるため、働きながら片時も惜しまず勉学に励んだ。手に取って読んだ『大学』は、中国古典「四書五経」の一つで、孔子門下の會子の作。孔子と門弟との問答を集めた『論語』、會子の門人子思の『中庸』、子思の門人に学んだ孟子の『孟子』の4つを指して「四書」という。「四書」は、「五経(注)」と並んで、江戸後期、大名諸侯が人材登用に力を注いだ藩校、町民文化を支えた寺子屋の基本教材である。孔子の後につながる儒学思想を学ぶ「初学入徳の門」として『大学』は、学びを志した者が最初に読まねばならない入門書であった。  儒学は、一般に「修己治人」の教えといわれ、中でも『大学』は、「大学の道」という言葉から始まる「大学教育の理想的なあり方とは、どうあるべきか」について、「明徳を明らかにする」「民を親しましむる」「至善に止まる」という「三綱領」を巻頭言に示している。己れ自身の修養を学んで身につける者は、輝かしい立派な徳を備えるという意の「明徳を明らかにする」こと。人々を互いに親しみ和んで暮らしが営めるよう、為政者としての仁愛に基づく統治を行うという意の「民を親しましむる」こと。前段は「修己」、後段は「治人」を指し、双方が「修己治人」として一体になることを「至善に止まる」と説く。  つまり、人を治めるには、何よりもまず自らを修めなければならない。口先、権力、地位、金品の力で人を治めることを戒め、己の修養に努めることが人の治め方にも通じるのだという。「治人」とは、必ずしも天下国家を治める権力者を指すものではなく、人心を束ねる経営者、管理者など役職者にも当てはまる。

「天命」を知ったら「耳順」う
尊徳は成人の後、小田原藩服部家の家計立直しにより農政家の実力が認められ、小田原藩大久保家の分家で旗本の宇津家の所領の野州桜町領(栃木県二宮町)再興のため、37歳から26年間を過ごす。表高4000石も 実質1000石に満たないほど田畑は荒れ果てていた。早朝から一軒一軒を訪ね歩き、農民の声を聞き、勤勉を勧め、自ら先頭に立って、用水路や堰や橋などの改修を行った。また、農具を与え、盛んに表彰を行った結果、収納は大きく増えて豊かな村に生まれ変わる。晩年、幕府の日光領地開拓調査を命じられ、没年までこの事業と取り組み農政家の手腕を振るい続けたという彼は、「修己治人」の人であると言われている。  『論語』には、「吾れ十有五にして学に志す。三十にして立つ。四十にして惑わず。五十にして天命を知る。六十にして耳順(したが)う。七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず(為政2)」とある。齢(よわい)の重ね方について、彼も意識していたに相違ない。「志学」して、「而(じ)立」したら、「不惑」せよ。「天命」を知ったら、「耳(順)」を傾ける。耳目を集めて養った「修己治人」が活かせたなら、何を行うにしても人の道に適う「従心不欲 不踰矩」に達する。「徳望」を賞賛された尊徳翁は、「四書五経」を通して“自らをマーケティング”した人だったといえる。  トップ自ら「人材の質の向上」を謳い、研鑽を自らに課して啓発するキッカケにしたいものである。

 (注)「五経」は、『易経』、『書経』、『詩経』、『礼記』、『春秋』を指す。
 


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