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早 川 浩 士
(有)ハヤカワプランニング 代表取締役
2004年11月号
古に学ぶ経営者の資質の磨き方 A
偏信を捨て、兼聴に励む

「聞くべきことは聞く」のが、上に立つ者の姿勢
魏徴(ぎちょう)を「諌議大夫(かんぎだいふ)」に用いた唐の2代皇帝・太宗は、「聞くべきことは聞く」という姿勢を終始貫く態度が『貞観政要(じょうがんせいよう)(君道第一・第二章)』から読み取れる。  「太宗、魏徴に問ひて曰く、何をか謂ひて明君・暗君と為す、と」  世の中には、必ず、君主(リーダー)と呼ばれる人がいるものの、明君(明リーダー)・暗君(暗リーダー)と大別ができる。さて、両者の違いは何か。  この問に「徴対へて曰く、君の明らかなる所以の者は、兼聴すればなり。其の暗き所以の者は、偏信すればなり」と魏徴は答える。  「兼聴」は、多くの人の率直な意見に耳を傾け、その中からこれはと思う意見を採用すること。これに対し「偏信」は、一人の発言のみ信用すること。  ともすれば、皇帝という最高の権力と権限を持つと、“裸の王様”に近い状態に陥りやすくなる。皇帝に取り入って跳梁跋扈(ちようりょうばっこ)する「六邪」(注1)は、「偏信」から始まる。逆に、「兼聴」する姿勢からは、面従背言(めんじゅうはいげん)する者が払拭され、「六正」(注2)が育成されることを説いている。  唐王朝の成立に至るまでの間、何世紀にも及ぶ乱世を経験した中国の賢者は、合従連衡、離合集散に伴う滅亡や失脚を通して、君主(リーダー)が学ぶべき人心掌握のツボを発見したのであろう。  今日の経営者とて同じこと。自らの不知不識のうちに「偏信」に走れば、一方向の情報しか得られなくなる。ある意味では、情報遮断といわざるをえない。  「周囲に集まる人からの情報ではなく、現地で実際に行動する人の意見を聞く人であれ」とは、ピーター・F・ドラッガーのことば。経営が顧客を対象とする限り、顧客と接する現場で顧客の声を聞くスタッフ一人一人を我が事に置き換えて「兼聴」するという実践励行が欠かせない。  

賢者は、「安きに居りて危うきを思う」
『貞観政要(君道第一・第五章)』によれば、ある時、太宗は従者に「国を維持するということは困難なことなのか、あるいは容易なことなのか」と問いかけたところ、間髪おかずに魏徴が「極めて困難なことである」と答える。  反発した太宗は、「賢者・能者に権限を委譲して政務を行わせ、部下の厳しい諫言を聞き入れればよいのではないか・・・」と切り返す。  これに対して魏徴は、「昔からの帝王の治世をみるに、困難な時、危機の時には賢者を登用し、部下の忠告を受け入れる。しかし、安楽な状態になると、必ず『寛怠を欲す(=気が緩んで楽をしたい)』ようになる。このような状態が続くと、直言がうるさくなり、臣下もつい恐れて何もいわなくなる。日に月に徐々に恐懼(おそれかしこまる)が増して、いつしか危機存亡の状態に追い込まれてゆく。聖人は、“安きに居りて危うきを思う”という理由はまさにこのためである。安らかにして、しかも常に警戒する。これが、実に難しいことなのである」と太宗を正している。両者の信頼関係と強い絆があるからこそ、このような会話が成立する。  経営組織では、「聞くべきことは聞く」という経営者の姿勢があっても、「言うべきことが言える」という部下との関係構築は中々難しい。  部下の進言に反論する経営者に対し、反駁(はんばく= 論じ返す)ができる部下が皆無だとしたら、「疑をもって疑を決すれば、決必ずあたらず」(注3)となりかねない。あやふやな根拠にもとづき、あやふやな気持ちで判断を下せば、必ず見当はずれな結論が導かれるというのが、この言葉の意味である。  この際、我々の法人には、どの程度の反駁の機会があるのか点検・確認してみると良い。

 (注1)「経営(継栄)のツボ」7月号参照
 (注2)「経営(継栄)のツボ」6月号参照
 (注3)「荀子」中国の戦国時代、(紀元前476〜222年)の末期の儒家のことぱ。

 

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