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「聞くべきことは聞く」のが、上に立つ者の姿勢
魏徴(ぎちょう)を「諌議大夫(かんぎだいふ)」に用いた唐の2代皇帝・太宗は、「聞くべきことは聞く」という姿勢を終始貫く態度が『貞観政要(じょうがんせいよう)(君道第一・第二章)』から読み取れる。
「太宗、魏徴に問ひて曰く、何をか謂ひて明君・暗君と為す、と」
世の中には、必ず、君主(リーダー)と呼ばれる人がいるものの、明君(明リーダー)・暗君(暗リーダー)と大別ができる。さて、両者の違いは何か。
この問に「徴対へて曰く、君の明らかなる所以の者は、兼聴すればなり。其の暗き所以の者は、偏信すればなり」と魏徴は答える。
「兼聴」は、多くの人の率直な意見に耳を傾け、その中からこれはと思う意見を採用すること。これに対し「偏信」は、一人の発言のみ信用すること。
ともすれば、皇帝という最高の権力と権限を持つと、“裸の王様”に近い状態に陥りやすくなる。皇帝に取り入って跳梁跋扈(ちようりょうばっこ)する「六邪」(注1)は、「偏信」から始まる。逆に、「兼聴」する姿勢からは、面従背言(めんじゅうはいげん)する者が払拭され、「六正」(注2)が育成されることを説いている。
唐王朝の成立に至るまでの間、何世紀にも及ぶ乱世を経験した中国の賢者は、合従連衡、離合集散に伴う滅亡や失脚を通して、君主(リーダー)が学ぶべき人心掌握のツボを発見したのであろう。
今日の経営者とて同じこと。自らの不知不識のうちに「偏信」に走れば、一方向の情報しか得られなくなる。ある意味では、情報遮断といわざるをえない。
「周囲に集まる人からの情報ではなく、現地で実際に行動する人の意見を聞く人であれ」とは、ピーター・F・ドラッガーのことば。経営が顧客を対象とする限り、顧客と接する現場で顧客の声を聞くスタッフ一人一人を我が事に置き換えて「兼聴」するという実践励行が欠かせない。
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