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『介護保険改正に勝つ!経営』 あとがき ..................................

2005年は、名古屋が暑く燃えている。

 大阪万博から35年を経て、「自然の叡智(えいち)」をテーマにした21世紀初の国際博覧会、愛知万博(愛・地球博)が2005年3月25日に開幕した。

 これに先駆け、中部国際空港(セントレア空港)の開港や東部丘陵線(リニアモーターカー)が開通。会期は185日間に及ぶという。

 平成のバブル不況以降、経済の沈滞ムードから脱しきれないわが国にあって、自動車関連産業を中心とした名古屋を取り巻く中京経済圏の好調振りが全国にも知られ、近頃では名古屋に学べと『名古屋学』が盛んである。
  歴史を遡れば、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と中世の日本史にその名を残した人材を相次いで輩出した土地柄だが、江戸中期に多くの大名から慕われた細井平洲(へいしゅう)(1728-1801年)という人物を知る者は少ない。  『東海市民の誇り 細井平洲』(東海市教育委員会)によれば、尾張国知多郡平島村(現在の愛知県東海市)に豪農の次男として生まれた平洲は、義観(ぎかん)和尚の勧めで京都に『儒学』を学び、中西淡淵(たんえん)の勧めで長崎に孔子が編纂した中国最古の詩集『詩経』と中国語の研鑽を経て、24歳で上京。私塾の嚶嗚館(おうめいかん)を開く傍ら、『詩経古伝』『嚶嗚館詩集』『群書治要』などを出版して儒学者として全国にその名を馳せ、吉田松陰や西郷隆盛など幕末の志士にまで影響を与えた人物である。  「学問と今日とは二途にならざるように」「学・思・行相須(ま)ツ」に代表される平洲の教えは、『学ぶということは、知識を得るためだけのものではなく、学んだことが生活の中に生(活)かされるようでなくてはならない』という考え方に基づく。  アメリカ大統領のケネディが『最も尊敬する日本人』と挙げた上杉鷹山(ようざん)は、 平洲37歳とき14歳で師事。日向国高鍋藩主の次男から上杉家の養子に入って家督を継いだ鷹山は、10代目米沢藩主として藩政改革に功績を残した。その上杉家は、戦国の武将上杉謙信を藩祖とする家柄だが、関が原の戦い以降、会津、米沢と2回に渡る移封と減封により石高を八分の一まで減らされ、鷹山が当主となった頃は、お家存亡の危機に直面していた。  『なせば成る なさねば成らぬ 何事も 成らぬは人の なさぬなりけり』という言葉は、平洲が鷹山に贈った言葉として今に語り継がれる。  この出自は、『書経』の「慮(おもんぱか)らずんば胡(なん)ぞ獲ん、為さずんば胡ぞならん」にみることができる。「思慮深くなければ成果を挙げることなどできないし、断固実行しなければ物事などやり遂げることなどできない」というが、その意である。  平洲は、農民の出という身分にありながら53歳で九代目尾張藩主徳川宗睦(むねちか)の待読(先生)を経て、56歳で尾張藩校明倫堂督学(校長)となって、74歳で生涯を終えた。  自らの資質の磨き方に腐心するとき、平洲の遺徳の顕彰が祭られた東海市立平洲記念館(名鉄聚楽園駅下車、循環バスにて)に足を運んでみることを勧めたい。  http://www.city.tokai.aichi.jp/~kyoiku/kinenkan/kinenkan/kinenkan.html
       
       
   
2005年5月  
早川浩士(経営コンサルタント)  


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